ポーランド旅行記 クラクフ編
2011年 07月 13日
ワルシャワからは国鉄の特急で移動。
席は1等の指定席。車内は満席でした。2等(自由席)だったら座れなかったかも・・・
クラクフはポーランド王国の黄金時代(14~15世紀)に首都として栄えた都市。
第2次世界大戦時代はドイツ軍の司令部がおかれていました。
そのため、ワルシャワやほかの都市が壊滅的な打撃を受けたなか
クラクフは戦災を免れることができたといわれています。
町全体に中世の面影が残る歴史的な街並みは、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
ここはクラクフの中心となる中央市場広場。
ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキエヴィッチの銅像も立っています。
2本の塔がそびえ立つのは聖マリア教会。
(実際に人が吹いています)
こちらは旧市庁舎の塔。
広場の中央に建つ織物会館。
14世紀に建てられた建物で、当時は衣服や布地の交易所でした。
通路の両側には民芸品などを売る小さな店がずらっと並び、ちょっとした商店街。
通路から見る広場の風景。
さて、広場から旧市街へ移動。
今どきのショップやカフェやレストランが並んでいます。
旧市街の北のゲート、フロリアンスカ門
旧市街の中には、かつての城壁の名残があちこちに。
円形の砦、バルバカン。
こちらは宿泊したホテルの近くにあったマテイキ広場。
旧市街の南の外れには、歴代ポーランド王の居住であるヴァヴェル城がそびえ立っています。
こちらは城のそばを流れるヴィスワ川。 川の右側にヴァヴェル城が見えます。
川を挟んだ対岸には、マンガ館があります。
7000点に及ぶ美術コレクションが展示されています。
浮世絵から日本画、木彫、武具、漆器、着物などなど、貴重な展示物がたくさん並んでいました。
さて、私たちがポーランドを訪れた大事な目的は・・・
クラクフの西54kmのところに位置するアウシュヴィッツ強制収容所を見学することでした。
百数十万人の命が奪われ、“殺人工場”とも呼ばれたアウシュヴィッツ。
収容所の入り口には、収容者たちが強制的に造らされた
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」という皮肉な看板が掲げられています。
この跡地には、囚人たち(と呼ばれた人々)の生活した牢屋や監禁室、鞭打ち台、
ガス室や絞首台などがそのまま残されていて、当時の過酷な状況がうかがい知れます。
また、ナチスが収容者から没収したトランク、生活用品やおもちゃ、人形、めがねなど
ありとあらゆるものが展示されています。
身体障害者の義手や義足まで取り上げていたようで
収容者たちの悲惨な生活状況も垣間見ることができます。
とても衝撃的だったのは、収容者から刈り取った髪の毛、
そして その髪の毛で作られた縄製品でした。
施設内は写真撮影可能でしたが・・・
あまりの重苦しい雰囲気に、写真を撮る気分にはなれませんでした。
見ているだけで息苦しくなり、悲しい気持ちでいっぱいになりました。
でも、こうした辛い歴史を知ることは、現代を生きる私たちにとって重要なことだと思います。
見学後はかなり意気消沈しましたが、思い切って訪れてみてよかったです。
さて、〆はやっぱりグルメです。
クラクフにある老舗のポーランド料理レストランBalatonにて。
野菜スープとキャベツの煮込みを食べました。
キャベツはワルシャワで食べてヤミツキになった味。クリーミーなザワークラウトという感じです。
こちらはポーランド料理のプラツキ・ジェムニァツアーネ。
パンケーキといっても揚げ物という感じなので、かなりボリューミーでした。
以上、『ポーランド旅行記』でした。
戦争のつめ跡が随所に残るポーランド。
翻弄されたポーランド人たちの苦悩や悲しみや憤り
戦後の廃墟から町を復興させた彼らの強さ(タフさ)や愛国心
完ぺきに再現された街並みに感動し
情緒ある歴史的建造物に感嘆し
いろいろなことを感じ、考えさせられ、悲しい気持ちにもなりましたが
得るものも多くて、本当に感慨深い旅になりました。
行ってよかった、ポーランド! 食べ物も美味しかったし (^-^)