バルト海沿岸の三国を巡った『バルト三国周遊記』
最終回は、北欧に最も近い国 エストニア編です。
リトアニア編 と ラトヴィア編 もあります。
デンマーク、ドイツ、スウェーデン、ロシア、ソ連と
近隣の強国に翻弄され続けてきたエストニア。
リトアニア、ラトヴィア同様、複雑な歴史に彩られた
さまざまな文化の影響が今もなお残っています。
首都 タリン は、栄華を誇った中世の空気を今に伝える都市。
デンマーク人によって作られた要塞都市としての顔と
ドイツ人によって作られた商業都市としての顔を併せ持ちます。
旧市街は、北ヨーロッパで最もよく保存された
中世の雰囲気が残る博物館のような街並みとして
世界遺産にも登録されています。
その旧市街は「山の手」と「下町」に分かれています。
支配者や貴族たちが暮らしたのが山の手のトームペアの丘。
商人や職人たち市民は丘のふもとに下町を作りました。
まずは、山の手の観光スポットからご紹介しましょう。
ロシア正教教会のアレクサンドル・ネフスキー聖堂

今もなおロシアの脅威を感じているエストニア人の中には
この聖堂をあまりよく思っていない人もいるとか。
なぜなら・・・
すぐ正面に政府の一部と国の議会が入っている トームペア城 があるから。

正面にはエストニアの三色旗。

エストニアで最古の教会である 大聖堂

貴族たちやトームペアに暮らしたギルドたちが葬られているそうです。
大聖堂と展望台をつなぐ コフトゥ通り

トームペアの北側にある 展望台 からの眺め。

下町を一望できます。

展望台を後にして、ピック・ヤルク通りを下ります。
途中のカフェの屋根に長ブーツの雨どいが。

通りの名前 PIKK JALG(ピックヤルク=長い足)にちなんだものだとか。

坂を下ったところにあるのは 聖ニコラス教会

別の角度から。

また、パイプオルガンのコンサートホールとしても使われているそうです。
北ヨーロッパに唯一残るゴシック様式の 旧市庁舎

65mの塔の上には、有名なタリンのシンボル
トーマスおじいさん が町を見下ろしています。

壁からは蛇がニョキっと出ていました。

旧市庁舎があるのは ラエコヤ広場

中世には商品の売買のほか、結婚式の行進や折々の行事、
果ては罪人の処刑なども行われていたそうです。
この広場周辺の路地。

おもに庶民がかよった古い教会の 聖霊教会

ヨーロッパで最も古い薬局の1つ 市議会薬局 の看板。

旧市街に約2.5kmも続く城壁の一部。



城壁下の セーターの壁 では
エストニアの手作りセーターや編み物製品が並んでいます。

旧市街のメインストリート ヴィル通り に着きました。

観光客から地元の人まで、人通りが絶えない活気あふれる通りです。
ヴィル通りから見た旧市庁舎。

こんな愉快な銅像もあります。

ヴィル通りの入口(出口)の ヴィル門

タリン、とっても素敵な街でした♪
山の手と下町、2つの顔があり、街歩きがすっごく楽しいんです。
建物も可愛らしくて、どこを見ても絵になります。
ヴィル通りにある Peppersack というレストランでディナーを食べました。

元は、胡椒の商いをしていた商人の住居だったそうです。
中世の衣装を着たスタッフが入口でお出迎え。

お店では、エストニアの地ビールも飲めます。

お料理いろいろ。

オランダ料理に似てますね~ どれもおいしかったです♪
さてこちらは、タリン近郊にある 歌の原
エストニア人にとっては思い入れのある場所です。

1988年、エストニア各地から30万人以上(当時のエストニア総人口の約3分の1)が集い、
ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌いました。
“歌いながらの革命”といわれたバルト三国の独立運動が大きな一歩を進める
きっかけとなった出来事だったそうです。
舞台を眺めるようにして座っている大きな銅像は…

5年に1度開かれるエストニア最大の祭り、「歌と踊りの祭典」で
最後を締めくくる歌のコンサートが、この歌の原のステージで行われるそうです。
民族衣装に身を包んだ3万人以上の歌い手がエストニア各地から集い
観客数は10万人以上にも達するとか。
次回は2014年だそうですよ。
最後に、エストニアで買ったお土産をご紹介♪
バターナイフ

丸みをおびた形と可愛らしい絵が気に入りました。
エストニアの老舗チョコレート Kalevのチョコいろいろ。

お友達にも好評♪ 私はブルーベリー入りのホワイトチョコが気に入りました。
バルト限定の味?! Lay’sのポテトチップ

マッシュルーム味は特に気に入って、大量買いしてきました♪
以上、まとまりもなく写真を並べただけですが・・・
バルト三国周遊の思い出を詰め込んだ旅行記、これにておしまいです。
元々はダンナくんが行きたいと言っていて、私はそんなに乗り気ではなかったのですが
実際に行ってみたら三国ともすごく素敵な所で、とても楽しめました!!
食べ物も、ビールも美味しかったです♪
バルト海沿岸の三国を巡った『バルト三国周遊記』
今回は、バルト三国の中心に位置するラトヴィア編です。
ラトヴィアも近隣の強国に翻弄されてきた国の1つ。
その影響は色濃く残り、今でもさまざまな文化が混在しています。
そんなラトヴィアの首都 リーガは約70万人の人口を抱える大都市。
バルト三国最古の町、そして最大の町です。
宿泊したホテルは26階建ての高層ビルでした。

部屋は23階。素晴らしい眺望でした♪

26階のSky Barから見た夕陽。綺麗だったな~

リーガは見どころ満載! 中世の繁栄期の面影が残る旧市街と
ユーゲントシュティール様式(ドイツ版アールヌーボ)の建物が並ぶ新市街は
どちらも「リーガ歴史地区」として世界遺産に登録されています。
まずは旧市街から散策しました。
青い屋根と白い壁がとても美しかった聖母受難教会

80mの高い塔が目印の聖ヤコブ教会

1225年の記録にも登場している古い教会。
15世紀に建て直され、今の姿になりました。

三人兄弟と呼ばれる、3つ並んだ一般住宅。

旧市街には豪華な建物がたくさんあります。
中世にハンザ同盟の一員として栄えていたころに建てられた教会や商家は
装飾がゴージャスで、ゴテゴテと飾り立てたものが多いのです。


リーガに唯一残る、かつての城門である スウェーデン門

当時向かい側の兵舎に住んでいたスウェーデン兵がよく利用したので
この名前が付けられたそうです。

この門には悲しい伝説があり・・・
スウェーデン兵との恋を引き裂かれ、門の内側に塗り込められたという
リーガ娘のすすり泣きが夜中になると聞こえてくる・・・ そうです。

13世紀から18世紀まで、リーガは城壁に囲まれていたそうですが
重要性が失われ、ほぼすべてが取り壊されたそうです。
町に今も残る城壁は、後になって修復されたもの。

城壁の前に置かれていた 大砲

こちらは 火薬塔

現在は ラトヴィア軍事博物館 となっています。
リーヴ広場の北側の建物は 猫の家

伸びをしている猫の像が左右に1つずつ。

ユニークなデザインの塔が目を引く 聖ペテロ教会

塔の高さは123.5m。展望台になっていて、72mまでエレベーターで昇れるそうです。

聖ペテロ教会の前に立つ ブレーメンの音楽隊の像

動物達の脇のプレートはベルリンの壁です。
壊れた壁から覗き込む音楽隊、、、という表現なんだって。

1211年に建設が始められた古い建物の リーガ大聖堂

ロマネスクからバロックにいたる様々なスタイルが混在しています。
内部には墓碑銘や、司祭やギルドの墓石が展示されています。

華やかな印象はありませんが、パイプオルガンは見事。

ゴシック様式の美しい建物、聖ヨハネ教会(中央奥の建物)

個性的な外観が目を引く ブラックヘッドの会館

リーガの創設800周年を記念して2000年に再建が完了したリーガの新名所。
建物の中央にある大時計は、月、日、時間と月齢を刻んでいるそうです。

ブラックヘッドの会館があるのは旧市庁舎広場

続いては、新市街の見どころ アルベルタ通り へ。

アルベルタ通りは、ユーゲントシュティール建築群があります。
ユーゲントシュティールとは、ドイツ語でアールヌーボのこと。
19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻した新芸術様式。
特徴は過度に装飾的なデザインで、曲線や植物模様を多用したり
デフォルメされた人体像などが使われていること。
リーガは、建築ブームとユーゲントシュティールが重なり
街には膨大な数のユーゲントシュティール建築の建物が建てられました。
最も完成度が高い建築のひとつがこれ。

最上部は3つのメドゥーサの頭で飾られています。

こちらも立派なファサードの建物。2002年に修復が終わったんだそうです。

屋外美術館のようでした。
リーガ近郊の都市、スィグルダ も観光しました。
“ラトヴィアのスイス”とも呼ばれ、リゾート地として人気だそうです。
スィグルダ城址を散策。

お姉さんが銅像のマネをして写真を撮っていたので、私もパチリ。

スタッフは修道士のような衣装を着ていて可愛かったです。

深い渓谷と豊かな緑に囲まれています。

続いて、スィグルダ北部にある トゥライダ城 へ。

美しい赤レンガの塔。

塔の上の展望台からの眺め。

建物はすべて赤レンガ造り。

見ごたえがありました。

観光の合間に、スィグルダのレストランでランチ♪
食前酒として出された薬草酒。

肉と野菜のソリアンカスープ(左)と鱈のフライ&ベイクドポテト(右)

鱈のフライはチーズたっぷりで、とっても美味しかったです。
以上、『ラトヴィア』編でした。
次回は最終回 『エストニア』編です。
連休を利用して、バルト海沿岸の国々を旅してきました。
巡ったのはリトアニア共和国、ラトヴィア共和国、エストニア共和国の三国。
地図はこちら↓

激動の歴史を歩んできた三国。どの国も個性豊かです。
美しい自然と荘厳な歴史的建造物の数々は見ごたえがあり
駆け足の周遊となりましたが、とても充実した楽しい旅でした。
というわけで、今回から3回に分けて『バルト三国周遊記』をお届けします。
初回はリトアニア編。
深い緑に囲まれた美しい国です。
でも、その歴史は複雑で・・・ 地理的な要衝にあったため
絶えず近隣の強国(ロシア、ポーランド、ドイツ)に翻弄されてきました。
第二次世界大戦中、ドイツの占領下にあったリトアニアは甚大な被害を受け、
ソ連からも侵攻され、併合されてしまいます。
長い独立運動の末、リトアニアが正式に独立を宣言したのは1990年。
その後、2004年にEUに加盟しました。
そんなリトアニアの首都、ヴィリニュスを訪れました。
街に残る歴史的建造物の多くは近年になって修復され
リトアニア文化を伝える歴史的な街として世界遺産に登録されています。
旧市街の北の入り口に立つ大聖堂

鐘楼の高さは53m。

教会はギリシャ神殿を思わせる大きな建物。

ヴィリニュス大学構内にある聖ヨハネ教会

ソ連の占領期初めには倉庫として使われ、大きなダメージを受けてしまったそうです。
ヴィリニュス大学言語学部のホールには
自然崇拝時代の生活を描いた「四季」のフレスコ画が壁一面に飾られていました。

ヴィリニュス大学の隣に建つのは大統領官邸

リトアニアといえば、琥珀が有名だそうで…
琥珀博物館にも行ってきました。

古代の虫などを含んだまま凝固した琥珀もあり、興味深かったです。

ケディミナスの丘の上から眺めたヴィリニュスの街並み。

これはこれで情緒があって素敵でした。
聖アンナ教会

1812年ロシアへ攻め上がるナポレオンがヴィリニュスに入城した際
この教会を見て「我が手に収めてフランスに持ち帰りたい」と語ったそうです。
旧市街の南の入り口、夜明けの門

2階の礼拝所には聖母のイコンがあります。

夜明けの門通りは旧市街のメインストリートの一部。

続いて、近代的な建物が並ぶ新市街方面へ。
聖ペテロ&パウロ教会

中へ入ると一面の彫刻群に圧倒されます。

イタリアから招かれた彫刻家たちと数百人もの地元の職人たちによって施されました。
差し込む光の加減によって人物の表情が変化して見えるように計算されているそうです。

彫刻のテーマは聖書や神話から取られています。

天井から吊るされた船がとても印象的でした。

所変わって、こちらは新市街の目抜き通り。
奇妙な像が目印の国立ドラマ劇場

ソ連の国家警察、秘密諜報機関(KGB)が置かれていた、KGB博物館

ここで拷問を受けたり、命を落としていたそうです。
館内には当時の施設が保存、再現されているとか。
アウシュビッツさながらの、ソ連占領下時代の“負の遺産”とも呼べる場所。
ネリス川沿いに建つ黄金の建物は国会議事堂

教会のような佇まい。国会議事堂とは思えません。

ヴィリニュスから30kmほどのところにあるトゥラカイも訪れました。
30以上の湖と森に囲まれ、自然公園としても保護されている美しい観光地です。
観光の目玉は、湖上の島に築かれたトゥラカイ城

14世紀後半に建設された城です。
一度は廃墟となりましたが、1987年にほぼ元の姿に復元されました。
湖には人なつっこい白鳥さんが。

トゥラカイは、少数民族のカライメの故郷としても知られていて
今でも200人ほどが民族性を守りながら暮らしているそうです。
これが彼らの伝統的住居。

リトアニア第2の都市、カウナスにも行きました。
一時期は、リトアニアの首都でもあったこの地には
「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝氏が活躍した旧日本領事館があります。
杉原記念館

第二次世界大戦初期、ナチスの迫害を逃れ日本通過に活路を求めてきたユダヤ人たちに
本国の指示に背いてまでビザを発行して多くの命を救った杉原千畝氏。

実際に彼が昼夜を問わずにビザを書き続けていた執務室。

杉原千畝氏のことは知っていましたが、彼に協力したオランダ人がいたことは知らなかった。

杉原氏の功績はリトアニアでも評価され、ヴィリニュスには彼の名を冠した通りができ、
彼を記念して桜の木も植樹されたそうです。
カウナス旧市庁舎

かつては政治犯の牢獄として使われたり、ロシア皇帝の別宅にもなっていたそうです。
カウナス城

もともとは台形の城壁に4つの塔がありましたが
現在は修復された塔の1つと城壁の一部のみが残っています。
リトアニア北部の中心地、シャウレイには
数えきれないほどの十字架が立ち並ぶ十字架の丘があります。

大小無数の十字架の大群は圧巻です。

ただ単に十字架が置かれているだけの丘です。

ソ連軍がブルドーザーで何度も十字架をなぎ倒し、焼き払ったそうですが
人々は新たな十字架を置き続けたそうです。
十字架の丘へ向かう途中、タンポポが咲き乱れる野原がありました。

その中で見つけたタンポポの茎が…

バスの窓から見えた風景。

景色の美しさに、とても癒されました。
観光のレポートは以上です。
ここからはリトアニアの名物料理などを紹介していきます。
ヴィリニュス旧市街の目抜き通りにある
リトアニア料理レストラン Forto Dvaras にて。

まずはリトアニアン・ビールで乾杯♪

ダンナくんの会社の同僚のリトアニア人がおススメしてくれていた
ガーリックブレッド&チーズディップ ZEMAITISKOS

ビールのおつまみに最高です。
ビーツの冷たいスープ シャルティバルシチェイ SALTIBATSCIAI

チキンのクリームシチュー TYRSRIUBE

家庭で作るスープのような優しいお味。
ジャガイモのパンケーキ ブルヴィニェイ・ブリーナイ BULVINIAI BLYNAI
ハーリング(ニシンの酢漬け)載せ。

ハーリングは、オランダで食べるほうがおいしいかも?!
民族音楽が楽しめるレストラン Lokys にて。

リトアニアの民族音楽は陽気で楽しい感じ。
カウナスのリトアニアレストラン Medziotoju Uzeiga にて。
マッシュポテトを焼いたような ツェペリナイ CEPELONAI を食べました。

ホロホロで美味しかった~
長くなりましたが、『リトアニア編』はここまで。
次回は『ラトヴィア』編です。